Station: [8] 自由港のシュパイヒャーシュタット
シュパイヒャーシュタットにとって、なぜコーヒー貿易が重要だったのだろうか。それは、1888年以来ハンブルクに存在していたフリーハーバーによって説明することができる。すべての外国製品は、免税港で無税で保管され、加工された。シュパイヒャーシュタットは自由港の一部で、特に貴重でデリケートな商品が保管されていた。コーヒーもそのひとつだった。自由港は2012年に解散した。
コーヒーがまだ一般貨物として、つまり個々の袋に詰められて運ばれていた頃、その袋は外航船から小さなはしけで運ばれていた。外側の油圧式ウィンチを使って袋を倉庫に運び込んだ。私たちの水辺からは、隣のビルの屋上にあるウインチを今でも見ることができる。大きな書き物机の上に置かれた大判のノートも前世紀半ばのものだ。これは帳簿をつけるために使われた。このノートに、商人はビジネス上の出来事に関するすべての情報を手書きで書き留めなければならなかった。つまり、すべての商取引が後で追跡できるのだ。机は2つのコンテナ船の模型の間に置かれている。どちらも隣接する国際海事博物館から借用したものだ。1970年代にコンテナが導入されると、シュパイヒャーシュタットの伝統的な使用は終わりを告げた。コンテナは水路で倉庫に運ぶことができなかったからだ。その代わり、コンテナはローリーで道路側のハッチの前まで運ばれた。袋は荷降ろしされ、そこのウインチを使って倉庫に引き込まれた。倉庫内ではフォークリフトが使えないため、エルベ川の南側にパレットとフォークリフト用の平らなホールが作られた。現在、コーヒーのほとんどはコンテナでバラ積みされている。しかし、非常に品質の良いコーヒーは今でも袋詰めされて届く。